このブログの主人公

このブログの主人公はぼくです。

二村勇輔
ふたむら ゆうすけ
平成2年11月2日生まれ

間違っても
にむら  ではないです。

全国のにむらさんに恨みがあるわけではありませんが、
初めて会った人からの被害がとても多いです。
これを読んで頂いたにむらさんはどこかで時間取ってとことん話し合いましょう。

ライティングスキルを高めたくてライター講座に通ったが、
大手広告代理店H社のKさんより画家への転身を進められてライターから画家へ。
講座費…

本業はWEBコンサルティング。
反響出すためのライティングから何故か画家。
反響出すための画家。

生まれと育ちは名古屋市中川区。
下町の大都会。
下町根性大好き。
一柳中学⇒中村高校⇒南山大学@瀬戸
熊が出て休校になるキャンパスを卒業。

生まれてこの方ずっと天然パーマです。
昔はペンが10本刺さったり、抜けた髪の毛が6カールしていたり、
例えるならストリートファイターの豪鬼をさざえさんに寄せた感じ。
最近は社会の荒波に揉まれたのかどうか、少しクセが弱くなりました。
髪の毛が時代に媚びてきました。

本業のことなど、お仕事のことや髪の毛のご相談はメールフォームへ頂けるとうれしいです。

 

心理学的なやつとか、性格分析的なやつとかの結果

コーチ・エィ

プロモーター 満点

コントローラー 35点くらい

アナライザー 一桁

サポーター 15点くらい

 

結論

病的なくらい感情論。努力・熱血・根性みたいな感じです。

3年位前に行ったので変わっている可能性はありますし、数字がアバウトですが、間違っていないのはプロモーターが満点だったこと。周りの人に凄いを通り越して、ドン引きされました。200人規模の会社でも、プロモーター満点は全社で3人しかいないと言われました。(体育会系の会社なので割とプロモーターが多い会社です)

 

ストレングス・ファインダー

活発性・最上志向・着想・指令性・目標志向

 

結論

ストレングス・ファインダーを教えてくれた人曰く、おまえは天性の営業マン。

人と同じことはしたくないし、ずっと同じことはしたくないです。でも、やるならこだわりたいし、一番良いものを求めていきたいです。

 

ウェルスダイナミクス

クリエイター(スター寄り)

 

結論

自分らしいものを求めていきたいです。ウェルスダイナミクスを導入している顧客曰く、ふたむらくんは間違いなくクリエイター。

 

エニアグラム

タイプ4の芸術家

 

結論

個性を大切にする感受性豊かな気分屋。ものすごく扱いにくいと思います。(この特徴の裏を返せばほぼ悪口じゃないかと思ったのは内緒)
これもずっと前にやったので詳しいことは覚えてませんが、ウイングというやつは3だったと思います。

 

今までの経歴

ありのままなので、本当に期待しないでください。
もっっっのすごいエリートとかではないですし、
道端に生えている雑草よりも雑草感がすごい経歴です。
自分に自信がない方、これ読めば少しは気楽になると思います。

あと、こうみえても、学生時代の友人は大切にしたいと思っている派です。

 

0歳

天然パーマとして生まれる。
産まれたときから崖っぷち。

2歳

人生で1番可愛い時期。

5歳

おばあちゃんっ子として着実にこってこての名古屋弁を覚え始める。
この頃からデザートというものがあまり好きではない。
保育園でういろうをもらったが、
友人が食べ残したエビフライの尻尾とういろうを交換する。
物々交換を覚える。

6歳

野田小学校入学。
大きな箱をプレゼントされて64(ニンテンドー)だと思ったら、道具箱だったので泣いた。
勉強は、できない。

9歳

持病の中耳炎が悪化して手術。
なお、クラスの役割は黒板係兼配達係。

10歳

更に中耳炎が悪化して再手術。
なお、クラスの役割はレクリエーション係兼体育(オリンピック)係。

11歳

担任のおばちゃん教師の髪型がブロッコリーみたいな天然パーマだった。
昔はブロッコリーって馬鹿にしてたけど、まさか自分もブロッコリーになるとは。

12歳

無事に小学校卒業。
担任の佐藤先生から、
青柳ういろうのCMで出てくる「白黒抹茶あずきコーヒーゆずさくら」の順番を暗唱できるまで帰れないという厳格な教育を受ける。

13歳

一柳中学校へ入学。
入学当時、身長139cm。
軟式テニス部に入部。

14歳

持病の中耳炎が悪化した+右耳の鼓膜が破れたので再々手術。
鼓膜の代替を作るために少し大変だった。
なお、クラスの役割は電気係。

15歳

無事に中学校卒業。
今振り返ると、残ったのはどうしようもない友達だけ。
中学校の内申点は1〜5で決められ、5が1番良いのですが、
美術・音楽・家庭科・技術科で1を取りました。
ちょっとした自慢です。
この時学んだのは、「できないことも個性」。
なお、クラスの役割は電気係で3期連続続投の快挙を達成。

16歳

中村高校へ入学。
これまたどうしようもない高校。
軟式テニス部に入部。

17歳

良く言えば自由な校風。
正しく言えばやんちゃな高校だったため、好き放題でした。
みんなが部室で麻雀やっている横でゲームしたり漫画読んだり。
何を間違ったのか、学校のトイレで金髪にしたり。
ちなみに金髪にした時はブリーチを使ったので、
天然パーマが少し弱くなりました。

18歳 ターニングポイント

人生このままじゃだめだと思い、
当時通っていた塾の先生(大学生のバイトくん)に
「お金持ちになりたいんだけど、どうすればいい?」と質問する。
「だったら名古屋で1番頭良い大学に行け」と言われて、
私立で1番頭良いと言われている南山大学を目指す。
1年間毎日10時間、何があっても勉強しました。
そして、南山大学総合政策学部に合格。
奇跡でした。
母親に合格報告を電話でした時の返答は「受験番号間違ってると思うからもう一回確認して。」

何が奇跡なのかというと、受験2ヶ月前の最終模試で合格率10%(E判定)でした。
勉強始めた時の偏差値は、
国語 37 英語 39 数学 28 日本史 50 理科系?
でした。(記憶を辿ってますが、大幅なズレはないです)
これ読んでる受験生、絶対に夢を諦めないでね。

19歳

苦労して大学入ったものの、こんなもんか。と思ってしまう。
ぼくは勉強ができなかったけども、
友達になった人たちのがよっぽどダメ人間だったので、
南山大学でもこんなダメな人たちいるんだと、底辺を見て安心しました。

20歳 ターニングポイント

ふとしたきっかけで、ニューヨークへ1ヶ月ちょっとバックパッカーとして旅に出ることになる。
海外どころか、飛行機乗るのも初めて。しかも一人旅。
ニューヨークのブルックリンで2週間ホームステイ、マンハッタン(チェルシー)でアパート借りて3週間バックパックする。
バックパックと言っても、ひたすらマンハッタンの街中を電車を使わずに歩き回るだけ。
お金もなかったから1$ホットドッグとサブウェイでご飯を済ませる毎日。
ですが、エンパイヤステートビルで見た夕暮れがあまりに衝撃で、
一度っきりの人生なんだから楽しく自由に生きようと思いました。

21歳

ニューヨークで偉そうになったくせに平穏に過ごす。

22歳

どうせ働くなら死ぬ気で働こうと思い、渋谷発のITベンチャーへ就職が決定。(勤務地は名古屋)
大学は4年間で卒業できたものの、ほとんどの評定はC(最低評価)。
唯一最高評価を取れたのは、体育。

23歳 ターニングポイント

優秀な諸先輩方に追いつくために昼夜土日問わず馬車馬のように働く。
主な商材はホームページ制作。(業界ではかなり高額)
しかし、たくさん働いても最初の一年はほとんど契約頂けず。
全力でやったけど、ことごとく失敗して上手くいかなかったことが最大の収穫です。

24歳

そこそこ契約を頂けるようになる。
営業リスト精査・テレアポ・営業・クロージング・ディレクション・顧客フォロー・改善提案・クレーム対応など仕事のほぼ全てをやるようになる。
会社で強制的に受けさせられたTOEIC(990点満点)で230点をマークする。4択問題だったのに、正答率23%という快挙を成し遂げる。
大学の友人曰く「お前は南山生じゃない」。

お仕事でちょっと偉そうに役職を頂きました。
主任や課長代理になりましたが、課長代理に至っては、売上大幅未達のために就任3ヶ月目で解任されるという躍動感あふれるドラマの主人公でした。てへっ。
ちなみに、課長代理の下は主任なんですが、主任を通り越して見事に一般社員までの大降格です。

25歳

働きすぎて病む。
病んだ原因は、顧客の広告結果追求と新規営業の両立の難しさ。
そんなにあれこれできる時間ないし、契約いただいたクライアントの反響を出したいのにそこに時間を費やせないジレンマが大きかったです。
そもそも、新卒3年目なのに諸事情により顧客数が150件もあったので、ふたむらくん5人いても足りない。

26歳

退職。
当時の上司が立ち上げた会社へ転職。

27歳

ほぼ同様の仕事を行う。顧客数が少ないので特に病むことはなかったです。
宣伝会議のライター講座に通ったことで自分は広告が好きなのだと気づく。
ネットの知識が乏しいまま広告を売るのはどうかと感じ、
独学でアクセス解析、SEO、ライティングを学び始める。

28歳

退職。
独立して個人事業主に。
自分が好きな人と好きな仕事をやるために独立。
おかげさまで色んな方に助けて頂いております。
心の底から感謝しております。